日本酒と出汁料理・[幸][福]論

酒だけ飲んであれがうまい、これが好きだという話は、最近、遠離っている。酒と肴。この相性の良さを楽しむようになってきた。
その理由は量が飲めなくなってきたことにあるかもしれない。だから、居酒屋では1日二合、多くて三合、それを五勺ずつ、少量多品酒を心掛け、グラスを汚す儲からない客に成り下がっている。
醸し人九平次は抑制の効いた香りを持ちながら、ほどよく口内で膨らみ、滑らかな喉越しを楽しませる酒。粒度感も小さく、飲み手に飲むことを意識させない。どちらかと言えば甘口。

佐久の花生もと純米は、抑制のきいた醸し技が隅々に映え、ほどよい酸味が酒の輪郭を整えて、口内での膨らみはもちろん、しっかりとした厚味を感じさせながら喉を通る、どちらかと言えば辛口。

どちらも醸し技は良い。バランスの整った味わいを楽しませてくれる。違うのは酸味のコントロールだろう。

砂をまとめてくれと言われた時に山盛りにするのか、現実にはないとしても四角い箱に整えるかという違い。山盛りにすればまとまるが運びづらい。四角い箱に入れれば運びやすいが四隅の砂は取りづらい。一長一短がある。その微妙な違い。

だが、酒だけで飲んだ時の印象は柳腰の美女と、家を安心して任せられる女性ぐらいの違いがある。

私の仮説はどちらかが相性が良く、どちらかがそれほどでもないという印象を与えるのではないかと思っていた。が、それが違った。どちらも相性が良く、煮浸しの味を調え、楽しませてくれる逸品となった。

家で気合いを入れて作るのでなければ侮れない出汁料理の助演者となる[ヒガシマル麺スープ]。これが煮浸しの味を調えた。家庭料理としても重宝するはず。それに合わせて醸し人九平次と佐久の花。酒だけでいただけば大きく違う印象を残す二酒だが、甲乙付けがたい飲み口を楽しませてくれた。

幸せなる食卓。どちらが[幸]で[福]だか決め兼ねるが、手近で身近な幸福論。もちろん、いつものように十人十色、酒また十色というオチにはなるが。

夢も現も徒然に

日本酒、ゴルフ、競馬を中心的な話題に あれこれ話を書いていこうと考えており 時には雲のはなしだったり、ニャンズの 話だったりしてもいいじゃないか。形が あるようでないような、まさに雲を掴む というような話ができればと思います。 そう、人生は夢現(ゆめうつつ)。 束の間の人生なのだからいいじゃない?。

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