千代むすび・強力米二種
名前は大切だ。太郎でも、次郎でも良いが、三郎、四郎となると親の諦めを感じる。自分の不甲斐なさを子供に押しつけるなと言っておく。
千代むすび。荘厳な名前をつけたものだと思う。皇紀2678年を生きて来たかのようだ。が、それが不遜に思えない。千代紙のようなラベルはなかったと記憶しているが、ロゴがその意味では可愛らしくまとめられている。そのためにラベルの印象が実に柔らかく、肩肘を張らない。
けれども、その昔、境港は漁師の街だった。味より量という時代があったはずだ。恐らくは何度かのロゴ変更があったのではないかと、その歴史を勝手に遡る。
だから、繊細さより、豪胆さや力強さが旨さとして求められる。未だ以て強力(ごうりき)米を使って醸す蔵は数少なく、この蔵がその真骨頂。言わば、求められるものの違い、応えることの違いということか。
今回の二本の濁り。強敵である。気がつけば、宿酔になっているほど飲んでしまう。ベルベット(臙脂ラベル)とサテン(生成りラベル)のような喉越しの濁り。この違いは厚味にある。厚味のある濁り、滑らかさを優先させた濁りということ。
濁り酒は推して米の粒度感を感じさせる。さもなくば、喉に絡むかのようなザラつきを残す。が、ベルベットとサテンなのである。例えに個人差はあるが、驚くほどの滑らかさとご記憶いただきたい。
この喉越しというのが酒の魅力を語る時に伝えられるかられないかが大切なのである。最後に別の物を感じると全体の印象がそれを元にした話になってしまう。口内で抜群の膨らみを感じさせながらも、喉越しでの味わいに疑問を持つと評価が下がる。
酒飲みは鑑定官ではない。どうしても喉で評価したがる。それを美事に楽しませてくれる。酒は嗜好品。行き着くところは好き嫌い。十人十色、酒また十色ということだ。
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