三千櫻・一期一会なのだから
拘るというのは、違和感を感じ取り、主に言葉を使ってその違いを説明することだとする。
ただ、広告の場合は広告主がいて、あるべき姿を説き、主題を定めて、限られた予算と期日で目的を果たすことになるので、自分の拘りに妥協が入ることもある。
酒造りもそうだろうと思っている。拘りと妥協。ただ、化学の世界だから想定範囲を超えることもあるだろう。それはそれで興味深いし、ひとりの呑兵衛としても楽しい話だ。
この酒の旨さをどう伝えれば良いのかと悩み続けて一週間、考え倦ねていた。柔らかな口当たり、上品な飲み口を持ち、喉の奥深くで静かに消えていく。食との相性も悪くない。酒として悪くない。ただ、率がないということではない。
興味深さはどこから沸くのか。人の場合、多少はやんちゃをしてきた輩が私には面白く思える。言われっ放しではなく、言い返して来るぐらいの輩が好きだ。多分、私もやんちゃで、言い返してばかりだったと思う。だからなのかとは言い切れない。
たかが酒、されど酒。好みの違いや経験則の違いもある。だから、好みもバラバラ。だからこそ、この酒を何を求めて、どんな人がいただくのだろうと気になって仕方がない。次の造りをいただくときには、私のような飲み手も少し気にして欲しい。だって、人は十人十色、酒また十色なのだから。
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