とある男の言い訳
その昔、もう、相当前の話だが、とある会社に頼まれて、派手な金額の競馬をやったことがある。一年間の終始を120%にすることがミッションだった。結果として、達成し、追加報酬となったことがある。
利殖としての競馬が成立するのか。賭け方次第で利殖は成立する。が、種銭が太くなければ利殖にはならない。
その昔、とある台湾料理店の娘と友達だった。複勝しか買わないが、買う金額が太い。だから、僅か2倍のオッズであっても戻りは大きい。
競馬談義として、何のために競馬をやるんだということが競馬好きの呑み助の間でおこなわれることがある。最近はそのような談義には参加していないが、競馬予想の醍醐味は結果も大切なのだが、結果に至るまでの展開だと思っている。
発馬機と呼ばれるスタートゲートから各馬が一斉に出て、先頭に立つ馬、中団に控える馬、最後方で待機する馬と、色々と位置取りがある。要は馬の性格であり、気に入ったようにしてやることが馬が掛からずに走ってくれることとなる。
その展開を最初から最後まで読み切ることの快感は堪らないものがある。年に数回のことだが、その快感たるやホールインワンどころではない。恐らく、同日ホールインワンを2回ぐらいやってしまったというような快感である。
この快感が忘れられない。だから、競馬をやる。だから、買う点数も3点だけ。理論的に考えれば、複勝を押さえて三連複を買うようにすることでリスクはHEDGEできる。もちろん、種銭の取扱いは考えなければならない。三連複の買い目金額の最低3倍で複勝を押さえておく。
しかし、このような買い方は美しくない。私の美学ではない。
それでも、これだけ配当が荒れてしまうと、HEDGEを考えなければならないとさえ食指が動いた。きのうの共同通信杯の三連複が77,670円、きょうのクイーンCが15,560円。こんな馬券を獲るには熟慮が必要だ。片手間ではできない。もうひとつは老眼だ。数字が頭に入ってこなくなった。
馬券を買う以上、最後まで潔くあるべきだと考えているが、ちょっと自分の気持ちを確かめるためにも認めた。やはり、これまでの馬券の買い方を変えるつもりはなさそうだ。
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