大典白菊・2018年、最初の酒~hajime~
2017年、あれこれと日本酒をいただいてきたのだが、916種類に及ぶことになった。同じ酒は数えていないから、一体、どのくらい飲んでいるのかと思う吾人もいるかも知れない。が、長いことおいしい酒をいただきたいということもあり、一日二号(程度)と決めている。
昨年、その数を飲んだ理由はどこにあるのか。
酒は料理と対だと考えるようになって来た。言わば、相性を確かめるために量が少なくなり、種類が増えたと言うことでご理解いただきたい。
その中で、おいしい酒たちに教えて貰ったことがある。料理と一緒になって[おいしい酒]と言われたいということだ。
確かに、酒だけでも旨い。ただ、酒だけだと料理をいただいた時にその味が変わることがある。それがその酒が持つ[癖]なのだろう。この[癖]が個性であると同時に、実は厄介だということに気がついた。
焼き魚にしてもその焦げ具合がある。刺身にしても赤身、白身、脂身とある。肉にしてもその料理の幅は実に奥深いものがある。
いつだったか、知人に話をしたことがあった。新潟の酒が料理との相性には一番良いのではないかということ。そのために、一時期は新潟の酒にハマった。いまでも酒蔵が最も多い県である新潟だが、料理との相性は抜群だ。
が、微妙に私の好みと違って来た。腰の張り具合、言わば、喉越しの味わいが違うと思えて来たのだ。この時が八月の終わり。ここからまた迷走が始まる。が、当たりは付いていた。恐らくはこの酒だろうと思うところ。
が、それはあまりにも安直に思えた。オジュウチョウサンを軸にするような馬券の買い方だ。勝つことは分かっている。だからこそ、そこに死角があるかもしれないという考え方で、酒をあれこれいただいた。
私の中にはその酒が好きかどうか、九種類の判断ポイントがある。中でも大切にしているのは口中での粒度感だ。これが喉越しに大きく影響する。
小理屈はいずれまたご紹介させていただければと思うが、佐久の花が二回、天青、そして、2017年は岡山県高梁市の酒[大典白菊・造酒(みき)錦米純米酒]となった。
一見、普通に思える味わいなのだが、それが二口目になると、実に端正な顔立ちに思えてくる。綺麗で、一切の雑味がない。若さにも似た張りがあり、目指すところに一点の曇りもない覚悟、そんな芯の太さを感じさせ、突き進んでいく力強さがある。
端整な顔立ちの若武者、と私は喩えた。
酒米が少ないからなのか、蔵元の渡辺さんに訊けば良かったのだが、純米酒しか醸していない。造酒錦米自体が復活させた米で、まだまだ栽培量が少ないことは聞いていた。が、詳細不詳。生産本数がどのくらいなのかも分からない。が、入手困難、プレミア付きという酒ではない。
肉にも、魚にも、柔らかな出汁料理にも合う。当然ながら、取り留めのない器用な酒ということではない。武芸者としての勝負感がある。一定の距離感を持って料理と相対する酒だ。機会があればぜひ飲んでいただきたい一本として挙げる。が、好みは十人十色、酒もまた十色。私にとっておいしい酒である。
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